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新時代家族~分断のはざまをつなぐ新たなキズナ~ 第5回 第五章

第五章 過去と
「本日は快晴です。雨の心配はありません」
「良かったわ。まさにハイキング日和ね」
 御年一〇〇歳。ユキヨは都市からは遠く離れた農村部で一人暮らしをしている。
そんなユキヨの暮らしを支えているのが家庭用ロボットのタダだ。
「一人暮らしの高齢者」という若干寂しさを帯びた言葉は今の時代には当てはまらない。
今では、孫のケンスケ一家のような世帯よりも、若者や高齢者の「おひとりさま」世帯がメジャーになっており、
家庭用ロボットのラインナップも単身世帯を前提としたものが充実している。
 充実しているのはロボットだけではない。
農村部では、目的地への移動やちょっとした買い物も一苦労で、特にユキヨのような高齢者にとっては、
ちょっとした外出で重宝する空陸両用の「クルマヒコーキ」や、日用品や薬などを届けてくれる「配送ドローン」、
食料品などを売りに来てくれる「無人スーパー」など、「えらべる配達」サービスがとても重宝している。
 また、人生100年時代と言われて久しいが、最も欠かせないのは健康。
ケンスケから卒寿のお祝いにもらった補助レッグのおかげで、「健康100年ボディ」となり、一〇〇歳を迎えた今でも、簡単なハイキングコースを歩くことができている。
今日は、仲間たちとのハイキングの日である。
「登山用の杖も忘れずにお持ちください」タダが杖を指差した。
「あたりまえよ、私の自慢の曾孫たちと一緒に考えた世界一の杖なのよ」
 ユキヨは満面の笑みを浮かべながら、『手元にマイ工場』で作ったそれを受け取り、遠方にいる愛しい曾孫たちのことを思い浮かべた。
デザインはユキヨ、キヨタカ、ハルカの三人で考えた。
最後は、ユキヨが使い勝手と安全性も考慮してデザインを調整し、3 Dプリンタでつくったのだ。
杖のような形が決まっているものは自宅で作るのが主流になりつつあるが、
もう少し複雑な家庭用品は、通常、設計データをネットで購入し、色やサイズをカスタマイズして注文すると、数日後には自宅まで配送してくれる。
「次はいつ会いに来てくれるのかしら?」ふとユキヨがつぶやくと、
「ハルカさまと来週、海底探検の予定が入っていますよ」と、すかさずタダが教えてくれた。
「私がハルカのことを忘れていたとでも言いたいの?」ユキヨは笑みを浮かべながらそう言った。
 夫のケンジを亡くした後は話し相手にも困ったものなのに、タダが来てからというもの、
口煩くなったものだと反省しながらも、ロボットにすらちょっと意地悪を言ってしまう自分が、ユキヨはなぜか可笑しかった。
 しかし、ケンジの顔を思い浮かべた瞬間、何ともいえない不思議な感覚がした。
何かを忘れているような、うまい言葉が見つからないが、どうにも落ち着かない不安な思い。
「ゆっくりお食事していただきたいところですが、そろそろ出発しないと間に合いませんよ?」そうタダに急かされたユキヨは、『クルマヒコーキ』に飛び乗った。
 ハイキングコースの出発地となる山の麓に到着すると、既にメンバーが集まっていた。
「あーらユキヨちゃん、遅いわよ」
「ちょっとロボちゃんと話しこんじゃって。ごめんなさい」
ユキヨに声をかけたのはナオコ。ユキヨより二つ年上である。
他にも八〇歳から一〇〇歳代の参加者が集まり、今日のハイキングが行われる。
皆、ユキヨと同じように補助レッグを装着しており、簡単な山のハイキングは楽しむことが可能となった。
補助レッグがあるとは言え、怪我は禁物。各々軽く体操をはじめる。
この補助レッグ、着地の際のアシストまでついている優れもので、万一よろけたときにも踏ん張りが効くようになっている。
「それではまいりましょうかね」
 準備体操が終え、ナオコの先導でハイキングがスタートした。
 ユキヨもナオコに並び、共に仲間達を率いてハイキングコースを進む。
踏みしめる土の感覚と歩くほど澄んでいく空気が心地よい。
 振り返って見える家々がだいぶ小さくなってきた頃、道端にある石に座って小休止を取り、じんわりとかいてきた汗を拭う。
だが、ナオコは座ることもなく、眼下に広がる景色を眺めながら「気持ちいいわー!ね、ユキヨちゃん!」と語りかける。
それなりの距離を歩いてきたが、再生医療技術の進歩によって心肺機能が改善されたナオコにとってはこの程度は何てこと無いらしい。
「ええ。本当に。曾孫たちとも一緒に来たいわね」
 手に持った杖に目をやると顔が思い浮かぶ。私にとっては、この杖が歩く元気をくれるような気がした。
休憩が終わって再び歩き始めても、それぞれ休憩中の会話が続いているようだ。
ユキヨの後ろでおしゃべりしているのは、参加者の中では若者にあたる八十歳を超えたばかりのミホとヒトミだ。
「この前、デートした相手が最悪でさぁ、ARデートに遅刻してくるのよ」
「逆にリアリティがあって良いんじゃないの」ミホの話に笑って返すヒトミ。
 ユキヨはミホのARという言葉が引っかかった。
何か、それもとても大事なことを忘れているような、そんな感覚に陥ったのだ。
「ミホさん、その話もう少し聞かせて」
 いきなり話に食いついてきたユキヨにミホは戸惑いの表情を隠せない。
続きの話を聞かせてもらったが、その何か大事なことの正体は突き止められなかった。
 順調に歩を進め、全員無事に頂上に辿り着いた。
「はぁぁ。着いたわね。苦労して歩いて目的地に辿り着くと、やっぱり達成感があるわね」そう仲間と話ながら、頂上から景色を見渡す。
 ユキヨは懐かしい感覚を覚えた。昔よく見せてもらった景色だ。
 山頂からの景色を見て、ようやく大事な何かの正体にたどり着いた。
今日は亡くなった夫、ケンジとの結婚記念日だったこと。
そして、毎年結婚記念日には、AR技術を利用して、ケンジと思い出のレストランに行き食事をする予定だったこと。
 技術は進歩し、亡くなった人の生前のデータに基づき、ARデートを楽しむことが出来るようになっているのだ。
アイウェアをかけると、リアルな空間にバーチャルな相手が現れる。
その相手は、生前のデータをAIが学習することにより、人格や性格が忠実に再現されているだけではなく、
過去の記憶や現在の状況も反映し、まるでその人が今も実在するかのように振る舞ってくれる。
 予定の時刻に遅れると、昔と同じように夫はきっと不機嫌になるだろう。
「大変!!」
「ど、どうかしたのユキヨちゃん?」突然の叫び声に驚くナオコ。
 歩ききった達成感ときれいな景色を楽しむのもそこそこに、ユキヨは先に下山を始めた。
この後の仲間たちとの飲み会に行けないのは残念だが、今日だけは参加する訳にはいかない。
 急いで麓に戻ると、運良くクルマヒコーキが近くを飛んでいたので、すかさず捕まえた。
クルマヒコーキは、タクシー事業にも広く用いられるようになり、あちこち遊びに行きたい活発なユキヨにはぴったりの乗り物だ。
座席に腰掛け、
「第二公園までお願い。急いでよろしく」
 音声認識ソフトが行き先を特定し、適切なルートが設定され、
「目的地まで二〇分です」そうナビが言うと、すぐに発進した。
ユキヨは大慌てでメイクを直し、髪型を整える。
本当はもっとおしゃれな格好をしたかったが、今更悔やんでも仕方ない。
ハイキングで汗をかいたけれど、二〇分間大人しくしていればある程度は落ち着くだろう。
 待ち合わせは、二人がよく遊びにいった公園の噴水の前である。
「ケンジさん!!」
 アイウェア越しに、噴水の縁に腰掛けるケンジの姿が目に入り、思わず名前を呼んでいた。
ケンジは読んでいた本から顔を上げ、ユキヨの姿を見つけると目を細めた。
やはり何度ARデートを体験しても、この瞬間ばかりは泣きそうになる。
非常に細かな仕草までもが、全てユキヨの記憶と一致しているのだ。
「やれやれ、こんな日まで遅刻かい」
 怒ったように笑う顔も、よく通る声も、本当にケンジそのままである。
「ごめんなさい!ちょっとハイキング行ってて・・・」
「なんだ、そうだったのか。きれいな景色は見れたかい?」
「ええ、あなたに見せてもらった写真までとはいかないけどね」
「はは!そうか!」
 機嫌を良くしたケンジの隣に並び、一緒に歩き出す。
彼が亡くなったときには、もう二度とこうして隣を歩くことなんてできないと思っていた。
ARデートについて初めて聞いたときに、どれだけ心が高ぶったことか。
「最近、どんなことがあったんだい?一年ぶりに会うんだし、色々聞かせてくれよ」
「うん、たくさん話したいことがあるわ。まず、ハルカが今年五歳の誕生日を迎えたの」
「ああ、僕たちの曾孫だったね。この前写真を見せてもらった。何度も言うけど、生きているうちにちゃんと会えなかったのが残念でならないな」
「本当よ、とっても元気で可愛いんだから。魚が好きって前に言っていたから、
 誕生日のお祝いに、思い切ってバーチャル探検に一緒にチャレンジしたの。そしたらすごく気に入ってくれてね、来週もまた行くことになったのよ」
 ユキヨはうきうきと話すが、何だかケンジが不思議そうな顔をしている。
なぜだろうと一瞬考え、すぐに合点がいった。
「ああ、VRの海中探検なんて最近の話、ケンジさんは知らないわね。ごめんごめん」
「まったく、年寄り扱いするなよ。それで、バーチャル探検ってのは何なんだ?」口をとがらせながらケンジが言う。
「その名のとおり、VRでダイビングを楽しめるの。専用のゴーグルを着けると、たちまち周りが海中に変わっていくの。
 しかも、ゴーグルのチャンネルを事前に合わせておけば、遠く離れた人とでも簡単に同じ海に潜れるのよ!
 もっと言うと、最近では好きな時代にタイムスリップできる『時空メガネ』ってのも出てきてて、
 私は使ったことはないんだけど、観光地に行くと好きな時代の風景がARで映し出されるらしいのよ。
 これが特に外国の人に人気で、近所の城跡なんか外国人の観光客でいっぱいなのよ」
 つい心がはやって早口になってしまうユキヨを、ケンジは終始穏やかな瞳で見つめていた。
 そうして会話を弾ませているうちに、二人は目的地に着いた。
結婚前から二人が何度も足を運んでいる、数え切れないほどの思い出が詰まったレストランである。
今ではこのレストランでもAIコックが料理を振る舞っている。
美味しいだけではない。ユキヨのような高齢者にも健康状態に合わせた食事を提供してくれることもあり、今でも懇意にしている。
 今夜席を予約している旨を伝えると、ウェイトレスロボットは手慣れた様子でユキヨたちを案内してくれた。
AR映像であるケンジにもしっかり席を用意してくれるあたり、ユキヨ以外にもARデートでこのレストランを使う客がいるのだろう。
ARデートがずいぶん世間に浸透していることが伺える。
「ここのAIコックも私たちの健康状態をよく気遣ってくれてるけど、最近私がお世話になっている近くのケアセンターにも同じようなAIコックが料理してくれてるみたいで、
 いつもヘルシーで、それでいて飽きないように献立を変えて出してくれるのよ。」
そう言いながら、ケンジと向かい合って腰掛けると、ユキヨはすぐに次の話を始めた。
「そうそう! ハイキング仲間のナオコさんの曾孫さんのアンナちゃんが、
 ずっと付き合っている同級生の女の子と、来月一緒に住み始めるんですって。今度お邪魔しようと思ってるの」
「アンナちゃん?ああ、二〇歳ぐらいの子だっけ。百年生きてきてあんなに上手い歌を今まで聴いたことがない、と去年絶賛していたね」
「あら!そのこと、あなたに言ってたかしら。ケンジさんは本当に何でもよく覚えてるわね。……私とは大違い」
 ARになっても相変わらず物覚えのいい彼に引き替え、一年に一度の大事な結婚記念日さえ忘れてしまう自分はいったい何なのだ、とユキヨは人知れず肩を落とした。
「にしても、同性カップルも今では珍しくなくなったものだね。今日街を歩いていても、そうと分かる人たちがたくさんいた」
「確かにそうね。言われてみれば、今では何も特別扱いされることじゃないわねえ」
 このように、一年に一度ケンジと会って言葉を交わすことで、ユキヨはケンジが健在だった時代と現代のギャップに気づかされることが多々ある。
それは何だかとても不思議な、けれど心地よい感覚だった。
 夢中で話し込んでいるとあっという間に時が過ぎ、デートの終わりの時刻がやってきた。
もちろんお酒など飲んでいないのに、なぜだか少し酔ったようにも見えるケンジは、嬉しそうに目を細めてつぶやいた。
「君が毎日を楽しく過ごしているようで、本当によかった」
「ありがとう、ケンジさん」
「来年のこの日が楽しみだ。活発なのはいいが、くれぐれも無茶をしないように、元気でいてくれよ」
「当たり前でしょ。まだまだ人生長いんだから」
「ああ、君の未来はまだまだ明るい」
どこか自分に言い聞かせるような口ぶりで、ケンジは喜びを噛みしめるように言った。
 名残を惜しみながらもケンジと別れ、クルマヒコーキで自宅に向かう途中、ユキヨは今日一日のことを思い浮かべて、そっと目を閉じる。
「忘れっぽいのは昔からだけど、結婚記念日のデートのことを直前まで忘れていたのは、我ながら驚いたわ……。いい加減、脳メモリに頼らないとだめかしら?」
 誰に答えを求めるでもなく、けれども親友に真剣に悩みを相談するような声音で、独り言を言うのだった。

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